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大阪高等裁判所 昭和30年(ネ)724号 判決

控訴人(被申請人) 川崎製鉄株式会社

被控訴人(申請人) 奥野[王頁]

主文

原判決を取消す。

被控訴人の本件仮処分申請を却下する。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文と同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、控訴代理人に於て控訴会社就業規則第一〇六条第一四号には「年令、住所、経歴、扶養家族数等雇入の際の調査事項を偽り其他不正の方法を以て雇入れられた者は懲戒解雇にする」旨明示されており又入社試験時における履歴書にも、「絶対真実を書くべきこと」並びに「正確に書くべきこと」を朱書して明示し、同時に口頭注意も与えている。そして採用時における経歴の詐称特に、職歴、学歴の詐称は、控訴会社の判断を誤らしめるのみならず、虚偽の事実を述べて会社を偽り入社することは公正な競争者を排除して入社することになり詐称の程度いかんに拘らず労使関係相互信頼の基盤を根底より覆すものである。さらに、かかる詐称者を会社内に放置することは企業秩序を破壊するのみならず厳正を要すべき採用試験制度にも重大な支障を来たすことになる。以上のように学歴、職歴は採用に当つての重大な条件であるので、採用試験においては特に慎重に注意を促してこれを記載せしめ、もし経歴を偽つていることが試験時において判明した場合は、直ちに不採用を宣するは勿論、入社数年経過後に判明した場合においても例外なく懲戒解雇している。従つて本件は前記就業規則に該当するものとしてその解雇は理由あるものである。と陳述した。(立証省略)

理由

被控訴人が昭和二六年五月九日控訴会社に雇傭せられ、起重機係、鋳物工として勤務していたこと、被控訴人が右雇傭に際し、履歴書に最終学歴を私立甲南新制高等学校二年中退と記載すべきを私立甲南新制中学校卒業と記載したこと、控訴会社は昭和三〇年二月一三日被控訴人に対し、右前歴詐称を理由に、控訴会社就業規則第一〇六条第一四号に基き解雇の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

被控訴人は右雇傭に際し、右詐称事実につき控訴会社の当時の労働課主任小林武男及び製鋼課長中沢巖の諒承を得ているから前歴を詐称して雇傭せられたものとは言えないと主張するが、この点に関する原審における被控訴人の本人訊問の結果(第一、二回)は信用し難く、他にこれを疏明するに足る証拠はなく、かえつて原審証人小林武男、原審並びに当審証人中沢巖の各証言によると被控訴人主張のような事実がなかつたことが窮えるので被控訴人の主張は採用できない。

そこで進んで被控訴人の右前歴詐称が控訴会社の就業規則に該当するかどうかについて按ずるに、労働関係は労使の継続的結合関係であり労使双方の信頼と誠意によつて成立し、維持せらるべきものであるから、使用者が労働者を雇傭する場合には、当該労働者の知能、教育程度、経験、技能、性格、健康等につき全人格的判断をし、これに基いて採否を決定し、採用の暁は、賃金、職種その他の労働条件を決定するのである。従つて、使用者が労働者の経歴を熟知することは採否のためのみでなく、労働条件の決定、企業秩序の維持、業務の完全な遂行のため必要欠くべからざるものであるところ、成立に争いのない乙第四号証と原審における被控訴人の本人訊問の結果(第一回)によると、被控訴人は右雇傭当時満十八才に過ぎなかつたことが、疏明せられるから、同人の最終学歴の如何は、経歴中特に知能、教育程度を判断する上に極めて重要なものと認むべく、原審並びに当審証人桑江義夫、当審証人盛島清一の各証言、右盛島の証言によりその成立を疏明し得る乙第九号証を綜合すると、経歴詐称者をそのまま企業内に放置するときは他の労働者にも悪影響を及ぼし、企業秩序を破壊するのみならず、多数の入社希望者に対し不公平な取扱いをしたこととなり、これ等の者や外部に対する控訴会社の信用にも多大の影響を及ぼす結果、控訴会社においては従来かかる前歴詐称者を常に解雇或は諭旨退職せしめていること、控訴会社においては新制中学卒業者は工場限りの採用で、その決定は各工場長に委されているに対し、新制高等学校卒業者以上は本社人事課で採用し、新制高等学校中退者は将来職員として採用されることもあるので、工員として採用する場合でも人事課で処理することになつていることが疏明せられるので、被控訴人の前歴詐称は労使双方の信頼関係、企業秩序維持、企業の外部に対する信用等に重大な影響を与えるものとして右就業規則第一〇六条第一四号に該当するものと言うべく、このことは学歴が低く詐称された場合も同様であると解しなければならない。

被控訴人は、仮に右経歴詐称が懲戒事由に該当するとしても、その情状は極めて軽微であるから控訴会社は情状を酌量すべきに拘らず被控訴人が共産党員であるとの風説があることと、昭和二九年五月頃から映画サークルを作り文化活動をしていたことのために、殊更被控訴人を解雇したのであるから権利の濫用であると主張するが、当審証人盛島清一の証言と甲南高等学校長に対する調査嘱託の結果によると、被控訴人は甲南高等学校在学中、昭和二四年同校自治会費約二万五千円を使い込み、このため第二学年中途退学の止むなきに立至つたことが疏明せられ又成立に争いのない乙第五号証の一、二、三、同第一〇号証、前記乙第九号証に原審並びに当審証人中沢巖、同桑江義夫、同河野猪一郎の各証言を綜合すると、被控訴人は右雇傭後他の工員との間に意思の疏通を欠き、職場内も円滑を欠いていた上、勤務成績も悪く、無届欠勤も昭和二七年中二六回、同二八年中一九回、同二九年中七回に達していること、控訴会社においては、経歴詐称が発見された場合、雇傭後五、六年経過していても、又現在の地位の如何に拘らず解雇していること、控訴会社の労働組合においても、被控訴人からの苦情処理の申出により事実の有無を調査した結果、本件解雇も止むを得ないとしたが、唯被控訴人の将来を考え依願退職とするよう控訴会社と交渉しようとしたが、被控訴人においてこれに同調しなかつたため、組合としてこれを取上げなかつたことが疏明せられ、被控訴人主張のような事情から殊更本件解雇が行われたことは、この点に関する原審における被控訴人の本人訊問の結果(第一、二回)は措信し難く他にこれを疏明し得る証拠がないから被控訴人の右主張は採用できない。

すると控訴会社のした本件解雇は有効であり、被控訴人と控訴人との雇傭関係は既に終了しているから、右解雇の無効であることを前提とし、右解雇の意思表示の効力を停止する旨の仮処分を求める被控訴人の本件申請は、その余の仮処分理由の有無を判断するまでもなく不適法として却下すべく、被控訴人の申請を認容した原判決は失当であり、本件控訴は理由があるからこれを取消することとし民事訴訟法第三八六条、第九六条、第八九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 田中正雄 松本昌三 乾久治)

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